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アカプログ

ソフ その②

①のつづき

私にとって、とても大きな存在であったソフであるが、
その親子関係においては、ある意味欠けた所のある人だった。
母が長女で、弟二人。長男がソフと祖母と住み、次男は東京で
働いている。同居の長男とは最後の最後まで打ち解ける事のない
関係だった。

小さい頃は、自分にとっていいおじいちゃんであるソフがどうして
息子やその嫁に大事にされないのか、不思議でしょうがなかった。
でも子供が口に出す事ではないし、自分自身も自分自身のことで
いそがしくなり、日々の中心的な心配事になる事はなかった。

それが、ソフの入院で一変した。
4年前の年末、ソフが肺がんで入院した。
病院には、長女であるうちの母だけが夜とまりで付き添っていた。
いつもの年のように年末ギリギリに帰省した私は、母だけが車で
1時間かけて看病に通っている事態が異常なことに思えた。
同居の息子夫婦が付き添う事はないのだという。体調の悪い祖母に
それを期待することはもちろん無理だ。

ソフは肺がんからかなりの痛みがあり、毎晩モルヒネをうっている。
母の話では、プライドの高い人だから、トイレに行きたくても、うまく
看護婦さんを呼べないのだそうだ。だから誰かが付き添っている必要が
あるのだという。

結局その年の年末年始は、母が昼間、私が夜というシフトを組んだ。
大晦日も病院で過ごした。

そこでまず初めに対峙したのは、ソフの「抵抗」である。
調子の良いときは、まだ私が「マキちゃん」である事が分かる。
でも薬の量が増えるにつれ、記憶のオーダーは曖昧になり、
夜中に突然、彼が退職するときの挨拶が始まる。
そんなソフが、下の世話をする孫に、強烈な抵抗を示した。

ソフはプライドの大変高い人だったと思う。料理でも何でも出来たし、
誰にも頼らずに生きることの出来る人だった。
ソフにとっては、孫は庇護する存在であり、立場が逆転することが
受け入れがたかったのではないだろうか。

正直私も、介護は初体験であったし、私にとってもソフはいつでも私を
庇護する人であった。立場が代わることは、私にとっても現実を突きつけ
られる気がして、胸が痛んだ。
それでも、抵抗をしてもし切れるものではない、ソフと私は少しづつ変化を
受け入れていった。

薬が切れるとかなり痛いようで、さすると少し楽になると聞いて、
夜通しさすり続けた。

年が明け、私は伸ばせるギリギリまで滞在を伸ばしたが、やはり東京に帰らねば
ならなかった。ただ幸運だったのは、その年の1月、地元の美術館で毎週末
ダンスのワークショップと公演の仕事が入っており、週末~月曜日は帰省する
ことが出来た。昼間は働き→夜は病院どまりだった。
食が細くなったソフが、梅干だけは「食べたい」といっていると聞き、毎回
東京にある梅干専門店のようなお店で梅干を買って帰った。

そして、やはりどうしても、何故そこまで、長男夫婦がソフを大事にしてくれないのか
納得が行かないある日、母や父が止めるのをさえぎり、長男に電話をかけた。

つづく



by aka_pro | 2006-05-22 07:44 | 日々 amsterdam

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